約束のネバーランドでは、「パズルが崩れる」表現が使われている部分があります。
昼と夜でのパズルが崩れる表現
16巻のp.56で、レイが小さくなってしまったエマを抱きかかえたあと、エマがパズルのピースのように崩れていく場面について。
これを見て、僕はある絵を思い返しました。
5巻の表紙絵でのパズルが崩れる表現
それは、5巻の表紙絵。
パズルが崩れて外の世界が見えるような表現になっています。
「パズルが崩れる」表現の意味
では、この2つの場面の共通点は何でしょうか。
それは、
「これまでの固定観念から抜け出した」
ということかと思います。
5巻表紙の絵は、GF農園から外の世界へ脱出した場面を表しています。
元々いたGF農園はこれまで、「安心安全な優しい世界」のような固定観念を持って暮らしていましたが、実際には鬼に献上する人肉を育てるための施設でした。
固定観念を崩し、その場所から抜け出した場面を描いたのが5巻の表紙です。
同じように16巻のp.56の場面では、固定観念を崩して「意識次第で変えられる世界」だと直後にエマが気づきます。
エマに着目すると、「意識など関係なく存在している世界」という固定観念を持った自分を崩し、「意識次第で変えられる世界」だと気づくわけです。
このように
「パズルが崩れる」=「固定観念を崩した」
と解釈するとしっくりきます。
まとめ
「パズルが崩れる」表現について、考察してみました。
結論としては、「固定観念を崩す」ことを表しているのではないでしょうか。
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