約束のネバーランドには、「蝶」が描写されている部分が数多くあります。
これには何か理由があるのではないでしょうか。
今回は「蝶」が示唆することについての考察です。
「蝶」の描写が多い
蝶が描写されている場面を一部挙げてみます。
- 1巻 裏表紙
- 3巻 p.70 扉絵
- 3巻 p.83 2コマ目
- 3巻 p.85 4〜5コマ目
- 5巻 p.53、p55、p57
- 5巻 p.105 1コマ目、p.106
- 6巻 p.42 1コマ目
- 9〜11巻 裏表紙
- 15巻 p.157 1コマ目、2コマ目、4コマ目
画像も少しだけ挙げます。
また、アニメのオープニングでも蝶が描写されていたりします。
胡蝶の夢
「胡蝶の夢」という中国の荘子という思想家の説話があります。
この「胡蝶の夢」が約束のネバーランドでよく出てくる「蝶」が示唆しているものなのではないかと思います。
「胡蝶の夢」というのは、簡単な日本語に訳すと以下のような話です。
荘子は夢の中で蝶になっていた。楽しく夢中になって蝶の自分を楽しんでいて、自分が荘子であることは認識していなかった。しかし目が覚めると、蝶になっていた自分は夢で、自分は荘子であることに気づく。
ところで、荘子である自分が夢の中で蝶になっていたのか、もしくは自分は実は蝶であって、今夢を見ていて荘子となっているのか。これは自分には分からない。
荘子と蝶は見た目の違いは確実にあるが、意識としての自分には変わりがない。これが「変化」というものである。
要約すると、「今が現実世界なのか、夢の世界なのかは自分では分からない。なぜなら実際は見た目が変化しても、意識が主体だからだ。」ということを言っています。
「胡蝶の夢」を示唆する場面
「蝶」の描写以外にも、「胡蝶の夢」を示唆するような場面が存在します。
それは、16巻のp.50、昼と夜で迷っているときにレイが頭の中で考えている場面。
まさにそのまま「胡蝶の夢」の内容と一致します。
また、この場面では「意識」が鍵となっています。
この点でも、「胡蝶の夢」を示唆していると思われます。
他にも、レイが昔のことを思い出している場面では、
「『現実』が虚構(ニセモノ)だったんだ」
というセリフもありました。
このように約ネバでは「現実」を疑ったり「意識」を変えたりすることが鍵となってくる場面も多々あります。
これらは「胡蝶の夢」を示唆する表現と捉えることができます。
「胡蝶の夢」が表していること
では、この「胡蝶の夢」は果たして何を表しているのでしょうか。
4つの可能性を考察しました。
- 人間と鬼は外面の違いはあれど内面は変わらない
- エマは鬼になる(既に鬼である)
- 鬼世界が悪夢なのではなく、人間世界が悪夢である
- そもそもこれまでの世界全てが夢である
それぞれについて詳しく述べていきます。
人間と鬼は変わらない
人間と鬼は見た目の違いや生態の違いはありますが、意識のような内面はどちらも変わらないのだということを表している説。
「胡蝶の夢」では、「見た目が違っても意識は同じ」ということを言っています。
約束のネバーランドで「見た目の違い」といえば、やはり人間と鬼。
人間と鬼は外見や生態は違いますが、根本的な意識は同じ、ということではないでしょうか。
その意識とは、「自分が生きるためなら別の生物を犠牲にする」ということ。
鬼たちは人間である食用児を食料として生み出して食べています。
人間からしたらもちろん恐ろしく憎いことですが、鬼にとっては知性、形体を保つためには仕方のないことです。
逆に人間も、生きるために色々な動物や植物を食料として生産して食べています。
立場は違えど、人間も鬼と同じことをしているのではないでしょうか。
これについてはエマも6巻 p.130で感じています。
つまり、生きるために何か/誰かを食べるのは人間も鬼も同じ。
約束のネバーランドでは、
GFハウスでの食事、ムジカとソンジュの食事、グプナなど、
食べ物や食事に感謝する描写が多々あります。
約束のネバーランドという漫画のテーマとして、読者に伝えたかったことは
「食べ物の存在を当たり前と思わず、食べ物には感謝しなさい」
ということなのかもしれません。
エマが鬼になる
可能性の2つ目は、エマが今後鬼になる(もしくはもう鬼である、一部鬼である)ということを示している説。
先ほどの説とも「胡蝶の夢」の捉え方は似ているのですが、「意識が主体なので、形態などの違いには気がつかない」という点に着目します。
「胡蝶の夢」で荘子は、「自分が本当は荘子という人間なのか、はたまた蝶なのか」が分からないということを唱えていました。
「蝶」を「鬼」と置き換えても同じで、
「自分が本当に人間なのか、実は鬼なのか」は判断がつきません。
もちろんこれまでに明らかになっている鬼と人間には見た目でかなりの違いがあるのですが、中にはムジカのような人間に近い鬼もいますし、完全に見た目が人間で中身は鬼だという人物がいる可能性も否定はできません。
「中身が鬼」とまではいかなくとも、「鬼の要素が入っている」「邪血である」などの可能性もあります。
エマが邪血であるという考察については別記事で書きます。
他の考察している方々にも、「エマは鬼だ」「エマは今後鬼になる」と予想している方は多くいますので、その展開を示唆した「蝶」なのかもしれません。
人間世界は夢だった
3つ目は、人間世界が存在しない、もしくは崩壊しているという説。
現状、エマたちは「鬼の世界」=「悪夢」、「人間の世界」=「行きたい現実」という大前提のもと、動いています。
しかし、「胡蝶の夢」で荘子も「現実と夢は逆かもしれない」と述べているように、その大前提が逆転する可能性もあるわけです。
鬼の世界こそが生きるのには現実的な世界であり、人間の世界はそもそも存在しないか、存在しても鬼の世界以上に生きられない世界なのだということを示唆しているのではないでしょうか。
鬼の頂点の存在である「あのお方」が、エマの「人間の世界に行きたい」という約束を承諾していることから、人間の世界が存在していないという可能性は薄いと思います。
そのため、「人間の世界が鬼の世界以上に地獄である」という説が濃厚です。
そもそも、人間の世界のことについては作中では現状ほぼ何も触れられていません。
レイが読んでいた本『機械工学と人類の歩み』から、2015年まで本が出版されていたことがわかっています。
しかし、2015年以降の本はGFハウスには存在していません。
最新のコンピュータや電子機器などがGFハウスに送られないのは、防犯上や脱獄を防止する観点から納得できますが、本まで2015年で止まっているのはおかしくないでしょうか。
これは2015年に人間の世界が崩壊したことを示唆するものなのではないでしょうか。
例えば核戦争や細菌兵器の使用、感染症の流行などで人類は既に全滅しており、人間の世界に行ったとしても生きられない、などということが考えられます。
鬼の世界を「悪夢」と思っていましたが、実は人間の世界が「悪夢」だった、という展開です。
これまでの世界全体が夢だった
こちらは一番突拍子もないような説で、鬼の世界も人間の世界も含めて、この世界全てが「夢」だったという説です。
簡単にいえばいわゆる「夢オチ」なのですが、そんな簡単なことではないと思います。
この説についてはこちらで詳しく考察しています。
まとめ
以上、作中によく出てくる「蝶」が表している「胡蝶の夢」という話と、それが表していることの考察でした。
合っていたとしてもおそらく「示唆している」というぐらいの感じなので、今後作中で明記されることは無いかと思いますが、このようなことを白井先生と出水先生が考えて蝶を描いていたら面白いですよね。
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