4巻の30話で出荷されてしまった(と思われた)ノーマン。
しかし、実際には出荷されておらず、ラムダ農園に移動させられたという結末でした。
実はノーマンが出荷されていないという可能性を示唆する描写が、ノーマンの無事が分かるまでにされていたのです。
ノーマン出荷時の描写
ノーマンの出荷は冒頭でも述べたように、4巻の30話で描写されました。
しかし、イザベラによって門に連れられ、出荷されるかというタイミングでノーマンが一言「え」と発し、そこで描写が終わってしまいました。
この描写は「果たしてノーマンは生きているのか?」と読者がかなり気になる表現でしたね。
コニー出荷時の描写
「出荷」の描写としては、唯一されているのがコニーの出荷時です。
他の出荷の描写はされていないので、「出荷」が分かる描写はコニーのときだけでした。
しかも物語の最初に度肝を抜かれる場面ですよね。
エマとノーマンが忘れ物のリトルバーニーを届けようとして、出荷のことを知る場面。
この場所も、ノーマンの出荷時にそのまま出てきますよね。
そのため、「ノーマンがこの場所に連れてこられた=出荷で殺される」ということを読者に植え付けるような描写でした。
イザベラの過去描写
このように門に連れてこられたということは出荷されるに違いない、というイメージを持ちがちで、実際に白井先生もそれを狙って書いたのかと思っています。
しかし、それを覆すような描写が実はされていたのです。
それは5巻のp.56、イザベラの過去回想の場面。
イザベラがママになるための生活を始める場面なのですが、ここではママに門の中まで連れてこられたのに出荷されていないですよね。
セリフもナレーションも無い小さいコマで、しかも脱走の結果が気になる場面なので特に何も気にせず見過ごしがちですが、このコマで「門に連れて行かれても必ず出荷されるとは限らない」ということが実は明らかになっていたのでした。
まとめ
今回はノーマンが出荷されていない可能性を示唆する描写がされていた、という伏線の紹介でした。
最初からここまで考えて、「最初の衝撃的なシーンで出荷を読者に植え付ける」ことをした後、「見過ごしがちな回想シーンで別の可能性を明らかにする」ことをしたのであれば、流石としか言いようがないです。
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